介護生活のため襖(ふすま)をロックせざるを得ませんでした。
目次
・介護を始めて3年半が過ぎた
・父より母?ラスボスは手強い
・テレビと昼寝だけの日々
・「退屈」を感じないものだと思っていた
・コソコソ行動に手を打つ
・徘徊に遭遇した
・最小の手間と傷を考えてみた
・これは親不孝の処置なのか?
介護を始めて3年半が過ぎた
いままで介護という状況を、なるべく深刻にならずにお伝えしてきたつもりでいますが‥‥
今回は少々辛辣に感じられるかもしれません、介護生活の実態として理解して頂ければと思います。
私が単身両親の介護のため、佐賀の実家に戻って3年半が経ちました。当初は父の介護のために呼ばれまして、半年程して看取ったため介護終了‥‥のはずでした。しかし母にも認知症の症状がみられることが発覚、実家生活を延長する事に。
父より母?ラスボスは手強い
父はまだらボケ状態で、調子がいい時には普通に話が通じたのです。歩行が不自由なのに加え、手先も思うように動かせなくなり、あんなに好きだった大工仕事も出来ない‥‥ただテレビを眺めるか、ベットに横になるしかない姿は不憫でした。
一方スイッチが切れた状態では何をしでかすか分からない。昼の2時頃に素っ裸でリビングに入ってきて「風呂に湯が入っとらん!」と怒り出したりしていましたしね。
母の場合、物忘れの激しさ、理解力・判断力の欠如、ヤル気の喪失等の症状で、父よりはマシかと思いきや、こちらの方が手強さを感じます。
テレビと昼寝だけの日々
認知症の始まる前、いや若い頃から無趣味で受け身性格、テレビばかり見ていたものですから、当然今でもテレビ三昧。連続ドラマの続きを楽しみにしているような、積極的な鑑賞なら問題は無いのですが、うつろな目でただ画面を眺めているばかり。
テレビ以外は寝るだけ。起床して、テレビ見て、それに飽きたら寝る‥‥午前3時間、午後4時間、寝る前に1時間といったところでしょうか?1日トータルで16時間以上は寝ていると思います。最近の研究では、脳内にアルツハイマー病の要因となる「アミロイドβ」という物質が蓄積するので、昼寝のし過ぎは問題視されており、心配もしているのですが、昼寝するなとも言えませんし‥‥
「退屈」を感じないものだと思っていた
私には年寄り時間というものがあるのだと思っていました。年寄り時間感覚で退屈というものを感じないのではないかと‥‥だから母の口から退屈で仕方ないと聞いた時には意外に感じたものでした。
退屈で仕方ないのなら何か事を起こせばいいのに。自分から事を起こさないのならと、いろんなことを勧めてみたのです、読書・楽器演奏・脳トレパズル・散歩・庭仕事・塗り絵‥‥
しかしすぐに飽きるか「そがんこと今更出来ん」と消極姿勢。挙句の果てに「歳とったらこがんなると」「あんたも歳取ったら分かる」と返され埒があきません。専門家に言わせると、周りがあれこれをやらせようとしてもしても、本人が自ら進んでやろうとする意思がないと無駄だそう。
コソコソ行動に手を打つ
そんな消極姿勢・ネガティブ志向の母ですが、退屈生活のはけ口としてコソコソ行動が見受けられます。
私は普段二階を居場所を構えていますが、私が本宅に帰省している間、二階に上がってきては家探ししている様子。最初はまあそれもささやかな冒険だろうと黙認していたのですが、私のTシャツストックが見当たらなくなり、それが後日切り刻まれウエス(汚れ拭きのボロ布)にされていたのには驚きました。
たしかに父のお古をもらい受け着ていたTシャツですが、譲った記憶も無くしていたのでしょう。こんな具合に見境が無くなってきているので、取り返しのつかなくなる前に先手を打たなくてはいけません。二階部屋には入らせなくします。
徘徊に遭遇した
まさかこんな事で襖ロックさせなければいけないとは思いませんでした。大概において介護で襖を開かないようにするというのは、徘徊を防ぐためとされています‥‥ちなみに父は存命中2度だけ徘徊が見られました。
夕方一人で玄関から出て行こうとするので、どこにいくのか聞いてみると「家に帰る」との事、これがいわゆる子供返りだなとピンときました。歩行が不自由なのでそう遠くは行くまい、勝手口に戻ってくるパターンだろうと待ち構えていると、案の定しばらくして勝手口から戻ってきたのでおかえり、と迎えてやりましたよ。
真夜中に物音がするので様子を伺うと、父が寝床から這い出し玄関を開けようとしています、どうしたのか尋ねるとまたもや家に帰るとの返答、何とかなだめましたが、しばらくして再びゴソゴソ‥‥やはり子供返りかと「こらっ!くらすぞ!!(※くらすぞ=佐賀弁で怒るぞ・拳固を喰らわせるぞ意味?)と親が子に叱りつけるごとく叫んだところ「はい‥‥」と素直に戻っていき、それ以降は徘徊はピタリと収まりました。
最小の手間と傷を考えてみた
この二階部屋に入るのには襖口から入らなければいけません、その襖をロックして二階に上がらせないようにしてしまおうという訳です。ネジ2本打ち込めば簡単に済む事ですが、敷居にネジ穴を残し、傷を付けたくないのでこのような方法をとりました。
長尺の板を組みます。ポジティブ志向の製作物ではないものにあまり手間を掛けたくないので、組み継ぎのような面倒な事はしません。ボンドで接着、ネジ止め、ネジの先のはみ出しはディスクグラインダーで削ってやります。
この木枠と襖の引手を固定してやりたいところですが、ここも穴を開けたくない。そこで金具を外し表れた襖内部の木枠に直接ネジ止めします。
本来はこの上の横棒一本で事足りるのですが、外れてしまうリスクもあるので、四角形に組んだ枠をはめるのが確実だと結論付けました。
これは親不孝の処置なのか?
母のささやかな冒険の機会さえ奪ってしまい、心苦しさはあるのですが、不要不毛なトラブルを事前に防ぐため仕方のない処置だと思っています。
私と似た状況で、自分の親を介護している知り合いが「精一杯やればやるほど冷たく接しているように見られる。所詮介護する側の苦労は人様には理解してもらえない」と嘆いており、激しく共感しました。
またデイサービスのスタッフさんもかかりつけの医者も、大抵利用者・患者の味方で、介護する側は悪者にされがち、理不尽というかストレスを感じるんですよ。介護する側の心境がもっと理解される事をを願ってやみません。
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